仕事

好待遇確約のはずの公務員に転職しながらストレス障害で休職した体験記

40代男性
40代男性
私は50代手前の地方公務員です。
20代後半で結婚して、今は高校生と中学生の子供と持ち家で暮らしています。
地方において勝ち組といわれる公務員になり、充分な稼ぎと自由な時間をおうかして穏やかな人生をエンジョイするはずが、ストレス障害で休職するまで追い込まれてしまった私の体験をしるします。
就職先に公務員を考えてるかたや、自分らしい働きかたを模索してる方々の参考になれればさいわいです。

ストレス障害になって休職するまで

民間企業から公務員へ転職

大学を卒業して、地元では大手の民間企業に就職したものの、予想以上のハードワークと伸び悩む給料・低い待遇に将来が不安になり、公務員に転職しました。

公務員生活はまずまずでした。

給料は上がり続けるし、ボーナスはきちんとでるし、お金の心配は将来にわたって必要なさそうです。

しかも、仕事もいい感じ。

減点方式のため、与えられた仕事をミスなくソツなくこなすのが優秀な職員です。

冒険より安泰を好む私の性格にもあってるようで、

フツーに仕事をしてたら、勝手に評価が上がります。

安定
そんな、公務員としてはまずまずの人生を歩んできた私に一大転機が訪れます。

 

パワフル上司あらわる

ある年の異動でやってきた上司が、メチャクチャ仕事ができて、メチャクチャパワフルなh人でした。

仕事に対しては完璧主義で、少しの妥協も許しません。

そして、結果へのコミット具合がハンパなく、変態なみのこだわりをもちあわせていたのです。

そして、何においても仕事最優先。

クオリティの高い成果のためには残業や休日出勤は当たり前。

しかも、部下にもそれを当然のように求め、自分に厳しく、他人にはもっと厳しい、

出世街道まっしぐらを地でいってるような人でした。

たいして私は、割り切って働いていたので、お互いのモチベーションには天と地ほどの開きがありました。

40代男性
40代男性
仕事は生活費を稼ぐため

ただ、パワフル上司も赴任早々パワフルだったというわけではなく、最初は穏やかに仕事ができていたのです。

そして、赴任してから1ヶ月ほどたったある日、私はパワフル上司に、とある案件のことで呼ばれました。

今思えば、このときが休職への入り口だったのかもしれません。

 

 

パワフル上司、牙を剥く

あるイベントの企画書をあげていたところ、安全対策についての指摘をうけました。

そのイベントは何年も前から年間何度もおこなわれてて、新規イベントでもなければビッグイベントでもありません。

もちろん、だからといって安全対策をないがしろにして良いわけはありません。

今までのノウハウの蓄積もあり、今回に限って特に注意しなければならないこともありませんでした。

だから、私は、対策の内容を説明して、心配ないことを自信満々に答えたのです。

上司に呼ばれる
そこからでした。パワフル上司の本領発揮がはじまったのは。

パワフル上司は私が説明した対策に全く納得せず、パワフル上司オリジナルの対策案を示したのです。

ですが、パワフル上司から与えられた安全対策はとうてい実施できるものではありませんでした。

たしかにパワフル上司のいうとおりに対策すれば安全度は飛躍的に向上するでしょう。

しかし、何をやってるのかわからなくなってしまい、イベントとしては成りたなくなってしまうでしょう。

例えるなら、縁日の露店で『火事になるといけないから、屋台で火の使用禁止』というレベルです。

火が使えないと、たこ焼きやクレープなんかはできなくなって、かき氷とかクジだけになってしまいますよね?

もちろんそんな策がとおるわけもなく、いろんな関係機関や団体から文句やクレームがわんさかよせられました。

そこからの調整が修羅場でした。

パワフル上司
パワフル上司
絶対に譲らない
関係団体
関係団体
何バカなこといってるんですか

パワフル上司と猛反発する関係団体との板挟みで私はギュウギュウに締め上げられたのです。

板挟み
結局、その案件は、パワフル上司のさらに上のエラい上司の英断(?)により、『例年どおり』とすることで決着し、ことなきを得たのでした。

しかし、パワフル上司の異常なこだわり癖は、これ以降、随所でいかんなく発揮されるようになります。

 

 

叱責(しっせき)と深夜残業の日々

ハードワーク
なにぶん『こだわりのパワフル上司』ですから、企画がとおらないとおらない。

私の『前例踏襲をベースとしつつ、改良可能な点は改良する』スタンスがかったるくて仕方ないみたい。

重箱の隅をつつくだけでなく、全体をかき混ぜてグチャグチャにして全く違う料理を創造することに喜びを感じてるようでした。

だから、私の企画案はことごとくボツ。

そしてダメ出しの嵐。

つぎにお説教へと発展。

さらに自分に酔いしれた表情で昔の武勇伝を語りはじめたりして、ハンコもらいにいっただけなのに、自分の席に帰ったのが2時間後とかがザラでした。

しかもハンコもらえず。

ご指導(お説教?昔話?)タイムは平均して2時間くらい。長いときは4時間もパワフル上司の机の前で立って話を聞いてました。

やり直し
それが毎日続くので、もう自分が何をやってるのかわからなくなってしまっていました。

 

 

体調の異変がはじまる

そんな日々を過ごしてると、なんだか体調に次のような異変があらわれてきたのです。

頭痛

わりと早い段階から頭痛を感じてました。

両方のこめかみのあたりが、グー?でグリグリされてるみたいな痛みをずーっと感じるわけです。
頭痛
そのとき私は、『脳の血管がつまったか切れたか』したんじゃないかと不安になりました。

こめかみの痛みは脳梗塞や脳出血の疑いがあると聞いたことがあったので…。

その頃は連日の深夜残業が続いてたこともあり、疲労がたまってプチーンと・・・?なんて考えてしまったのです。

実際、職場で脳梗塞で倒れたケースも過去に何人かみてきたし。そのうち2人は亡くなったし。

その頃は死が怖かったので、休みを取って脳外科へいきました。
病院にいく
検査の結果は異常なし。

CTとMRIをとったのですが、特に異常は見当たらなかったようです。

検査では異常がなかった私の身体は、このあたりからどんどんヘンになっていきました。

頭痛もどんどんひどくなる。

常に痛みを感じてて、プレッシャーを与えられると、さらに痛みも激しくなっていく。

めまい

次に、めまいを感じるようになりました。
めまい
立ちくらみみたいな感じで、視界の周辺部がチラチラしてくるんですよね。

そしてそのチラチラの面積ががだんだん増えてきて、最後にはテレビの砂嵐みたいになるという。

そうなると、もう、人と向き合っても表情はおろか、目の前に人が立ってることすらわからなくなります。

耳の不調

なんだか水の中にいるような感覚がおそってきます。

音の聞こえかたが水の中みたいに聞こえるんです。
耳の不調
こんな状態でも、はたからみたら普段と変わりなくみえてたと思います。わりとうけ答えできてましたから。

脱毛症

そのうち頭に円形脱毛症が出たりして、その頃には「あ、おれヤバいかも」と思うようになりました。

『10円ハゲ』とはよくいったもので、まさしく10円くらいの丸いハゲが後頭部にちょこんとできてました。

平衡感覚障害

まっすぐ歩けなくなります。

まっすぐ歩いてるつもりでも、右のほうか左のほうへズレながらナナメに進んでしまいます。

フラフラ歩いて不調をまわりの人に気取られないように、しっかり歩くことが大切です。
平衡感覚

首を絞められてる感じ

なんだか、『真綿で首を締められてるような』感覚がやってきて、息苦しくなってきます。

プレッシャーが強くなればなるほど『しまり』も強くなります。
が、呼吸困難になるほどではありません。
首締められる

吐き気

吐き気には2種類ありました。

  1. 首を締められすぎて気持ち悪くなったあとのような吐き気。
  2. 胃を手で強く掴まれたことからくるような吐き気。
吐き気

睡眠障害

特に仕事での心配ごとが片付かないまま床についてしまうと、眠れなくなっちゃいます。

段取りはあれで大丈夫か?

明日やれば間に合うのか?

不安で不安で眠れなくなり、そのうち朝がやってきます。
睡眠障害

不安感

何もかもに自信がもてなくなり、不安な気持ちでいっぱいになっちゃいます。

イベントや会議の準備なんかは、どこまで念入りに準備しても「まだやり残しがあるんじゃないか」との思いにとらわれ、不安で不安でたまらなくなります。
不安
相手の思い違いを主張されても、そっちの方が正しいんじゃないかと思ってしまったり、自分に全く自信がもてなくなります。

記憶障害

記憶力が抜群に悪くなります。

というか、おぼえられません。

同じことを何度も何度も確認してしまったり、約束をすっぽかしてしまったり。

ひどいときは、電話を切った直後に何の用件だったか忘れていました。
記憶障害

理解障害

日本語が理解できなくなります。

単語1つ1つはわかるのですが、文章として並べると理解できなくなります。

返事やあいづちはうてるので、相手は当然理解している前提で接してきますが、私にとっては『相手の喋りにあわせる返事(「はい」や「いいえ」)やあいづちをうつだけで精一杯』で、その内容を理解する余裕はないのです。

ひどい『頭痛』や『めまい』とセットになることが多く、平気なフリしてるだけで、実は激しく消耗してます。

脳が膨張するような感じ

比較的いつでも感じることができる症状です。

なんと表現してよいか難しいのですが、『膨張』という表現が最もしっくりくるような気がします。

痛みはありません。

動悸

激しい運動とかしてないのに、急に心臓がドキドキしてきます。

と同時に、息が荒くなってきます。

浅く、早くなる感じ。
立っていることさえつらくなる
矢印
座っていられず、机に突っ伏す
矢印
最悪の場合横になる

体調の異変があっても休日は家族といつも通り過ごしたい

思いつくままに症状をあげてみました。

これらの症状がコンボであらわれることも。

これらが単独でやってくる場合もありますが、多くはコンボであらわれるので、なかなか手ごわいです。

特に頭痛がらみは強弱とり混ぜて攻めてくるので、激しく消耗します。

 

こんな状態だから休みの日はぐったりしてたかというと、そんなことはありません。

家族で道の駅へお出かけしたり、家族ぐるみでお付き合いしてるおうちで焼肉パーティーしたりと、しっかりマイホームパパしてたんですよ。

ただ、そのときも頭痛やめまいは襲ってきたし、油断して気を抜くと無表情でうつろにぼーっとしてしまってました。
家族サービス
私がうけ入れられなかったんです。『仕事も満足にできないお父さん』、『仕事で疲れ果てて休日家族と遊べないお父さん』なんて。

休日に家族を楽しませるのも、お父さんの大事な役目ですもんね。

 

そのあとも頭痛は私を苦しめ続け、「やっぱりおかしくない?」という思いが大きくなり、別の病院でも検査をうけました。

結局、4つの病院で検査をうけましたが、いずれも異常なし。

もうダメかも

パワフル上司がやってきてもうすぐ1年が過ぎようとする頃、私にはもう、がんばろうという気力は残されていませんでした。

あるのは無力感だけ。
無気力
どんなにがんばっても、パワフル上司からは及第点さえもらえません。

もらうのはダメ出しと叱責(しっせき)だけ。

ハンコひとつもらうのに1日ではたりないことも珍しくありませんでした。

溜まりゆく業務と決裁の恐怖におののく毎日でした。

パワフル上司から話しかけられるのが怖くて仕方なく、視線を感じるだけで気を失いそうになりました。

激しさを増す頭痛やめまいなどを感じながら、ついに思いいたらざるをませんでした。

40代男性
40代男性
オレ、モウダメカモ

 

 

パワフル上司去る

時は定期異動直前の時期でした。そこで私は自分にいい聞かせたのです。

40代男性
40代男性
パワフル上司も自分も異動してなかったら、もう終わりにしよう。休もう。

そして異動発表の日。

パワフル上司は栄転していきました。

私はその職場に残ることになりましたが、パワフル上司とはお別れすることができました。

相変わらずの頭痛とめまいと耳鳴りの中、私はひとまず安堵するのでした。

 

 

パワフル上司は去っても体調は癒えず

パワフル上司が去ったあとは、比較的平穏な日々でした。

パワフル上司のあとには穏やか上司がやってきました。

企画案もスムーズに通るようになり、業務もはかどります。

今までのこだわりは何だったのだろうと思わないではありませんが、やっと訪れた平穏な日々の下には、もうどうでもいいことでした。
平穏な日々
ただ、パワフル上司が去っても、私の体調は思うように回復しませんでした。

特に、後頭部に出来た10円大の円形脱毛症は、なぜかあっちこっちに場所を変えながら、少しずつ、しかし確実に大きく成長していくのでした。

 

 

穏やかな日々に訪れる恐怖

パワフル上司が去ってから2年たらずが過ぎました。

仕事は相変わらずで、ホドホド大変ですが、ホドホド順調で、穏やかに日々は過ぎていきました。

ひどかった頭痛やめまいや耳鳴りも、以前ほどは私を苦しめない程度に軽くなりました。

それ以外の症状もだんだんと軽くなってきており、いつか全ての症状はなくなるだろうと思えてました。

ただ、頭の10円ハゲは500円ハゲへと成長してました。
10円ハゲ
そして、パワフル上司が去ってから2年がたとうとしたある日、恐怖の出来事がおこりました。

 

それは突然やって来ました。シャンプーのときでした。

髪の毛がバッサバッサと抜け落ちはじめたのです。

いつものように両手で髪の毛をワシワシすると、髪の毛がゴッソリ抜けているではありませんか。

両手にベッタリついた髪の毛をみた私は、恐怖で背筋がゾッとしました。

それから数日間、シャンプーすれば髪が抜け落ち、髪をとかしたり、髪をかきあげたりするごとにクシや指に大量の髪がからみつきました。

私は髪の毛をさわるのが怖くなりました。

 

さらに、髪の毛だけでなく、スネ毛やワキ毛など、体じゅうの毛が抜け落ちていきました。

恐怖におののきましたが、どうすることもできませんでした。

 

このときから、私のヘアスタイルはスキンヘッドになりました。

髪を伸ばしていると、髪が生えてる部分と抜けた部分の違いがまだら模様になってカッコ悪いのです。

もちろん皮膚科へいきました。

診断名は、多発性脱毛症。

みたまんまの病名に笑っちゃいました。

お医者さんいわく、免疫系の異常だそうです。

免疫系が、毛根を外敵と間違えて攻撃してしまったそうです。

原因はわからないそうです。

原因がわからないので、治るか治らないかわからないし、いつ治るかも、わからないそうです。

タダで脱毛できたので、儲けものかもしれませんね。

ただ、人から「まゆ毛剃ってるんですか?」と聞かれて「いいえ」と答えたときの、相手の「???」となった顔は気の毒でした。

 

 

パワフル上司ふたたび

脱毛症にはなったものの、自分的にはそんなに悩むこともありませんでした。

仕事はホドホドで、家族との時間を楽しむ生活を続けられており、相変わらずの長時間労働ではありましたが、気分的には穏やかに暮らしてました。

 

ところがです。

 

それから数年後、あろうことか、ふたたびパワフル上司が私の上司になりました。

この世に神様は存在するのでしょうか?

それとも、これは神が与えたもうた試練でしょうか?

とにかく私はサラリーマンです。人事異動に否も応もありません。

またどちらかの異動で別れるまで、必死でがんばるだけです。

ところが、今回は早い展開となりました。

 

身体が過剰に反応してしまうのです。

気持ちはがんばろう、がんばろうと思うのですが、身体がいうことを聞きません。

まるで坂を転がり落ちるように体調が悪化し、いとも簡単に、短い期間で、あの苦しみが襲ってくるようになったのです。

そして、やっぱり企画が通りません。

何をどう修正すればいいのかもわからず、指示がこま切れに出されます。

ひとつ直しては決裁そして修正指示。もひとつなおしては決裁そしてまた修正指示。

終わりのない修正地獄です。
修正地獄
あの苦しかった日々がありありとよみがえります。

 

身体がこわばり、思考が停止します。

 

イベント計画は進まず、締め切りだけが容赦なく時を刻んで近付いてきます。

私は、いとも簡単に追いつめられていきました。

 

 

ついに心が折れました。

 

 

ストレス障害で休職へ

がんばってもがんばってもダメ出しされて、締め切りが迫るのにゴールが全くみえません。

それでも、『できない』という結果はありえません。

何度目かの修正を必死でしていた途中、スイッチが切れました。
スイッチ切れる
私の『やる気スイッチ』がパチッと切れちゃいました。

いや本当、やる気のスイッチってあるんですね。

そのスイッチが切れた途端、もう何もかもがどうでもよくなってしまいました。

終業時間までどーでもいいような仕事をテキトーにやって、終業のチャイムが鳴ると定時でとっとと帰っちゃいました。

そして翌日から、仕事にいけなくなりました。

とりあえず頭痛を理由に休んでるんですが、とても数日で回復するとは思えません。

というか、大事な企画の仕事をほったらかして休んでしまったので、次にどう出勤していいのかわかりません。

勢いで休んだものの、罪悪感と焦燥感と疎外感にボコボコにされて、もうどうしたらいいかわからなくなっていました。

 

そんなとき、ある職場の仲間から電話がありました。

その仲間も以前、仕事のことで深く悩み、休職一歩手前までいった人でした。

その仲間から、カウンセリングをうけるべきだといわれました。

嘱託(しょくたく)のカウンセラーさんに話を聞いてもらえば、良いアドバイスしてくれるそうです。

 

その仲間もそれで助かったとのことでした。

 

私は、その仲間のすすめるままにカウンセリングをうけることにしました。

正直、めんどくさかったのですが、仲間の申し出を断るパワーさえなかったのです。

仲間が段取りしてくれて、嘱託(しょくたく)カウンセラーさんのカウンセリングをうけました。
カウンセリング
結果は、すぐ心療内科で診察をうけるよう、強くすすめられました。

自覚症状はなかったのですが、かなりヤバい感じだったそうです。

私よりもカウンセラーさんの方が深刻そうで、その場ですぐに予約を入れてくれて、さらに心療内科まで付き添ってくれました。

 

あとから聞いた話ですが、このまま帰すと『最悪の結果』も、考えられなくない様子だったそうです。

そんなことするわけないのにね。

 

心療内科ではカウンセラーさんが診察にも立ち会ってくれて、先生に専門的な説明をしてくれました。

そのおかげ(?)で、私は“ストレス障害で自宅療養の必要あり”との診断をうけました。

 

医師から、全ての仕事を禁止されました。

出勤はもちろん、引継ぎもダメ。

仕事のことでの電話もダメ。

禁止
とにかく、一切の仕事との接触を禁止されたのです。

唯一許されたのは、そのことを職場に連絡することだけでした。

・嘱託(しょくたく)カウンセラーさんのカウンセリングをうけたこと、

・心療内科で診察をうけたこと

そして、

・明日からしばらく休むこと

・引継ぎができないこと

・仕事の話はできないこと

を電話で伝えました。

 

私はもう、あまり感情を感じることはできませんでした。

職場のみんなに迷惑をかけて申し訳ないとか、やっと休めるとか、感じても良さそうな感情を感じた覚えがありません。

医者が休めというから休むだけ。そんな感じでした。

 

 

家族の反応

家に帰って、家族にしばらく休むことを伝えました。

長女からは、「一度休んでしまうとふたたびいけなくなるから、しんどくても仕事にいくべきだ」と諭されました。

まだ小さい末娘は単純で、休めることをしきりにうらやましがりした。

妻はいつくしむような、それでいて悲しそうな微笑みを向けてくれました。

ただ、キッチンに向かってるときに流した涙は、玉ねぎのせいだけではないような気がしました。

 

 

直属の上司と面談

しばらく休むことになった数日後、直属の上司から連絡があり、喫茶店で面談しました。

パワフル上司と私の間にいる上司になります。

上司
上司
  • こんなになるまで気付けずに悪かった
  • 今は療養に専念してほしい
  • 仕事のことは考えなくていい

その上司は、非常に同情的に接してくれました。

私は意外でした。

業務を滞らせたばかりか、引継ぎもなしで仕事を放り出した私は、

どんなに迷惑で責められるべき対象だろうと自責することしきりだったからです。

こうして、職場公認(?)で、休職しての自宅療養生活に入ることになりました。

 

 

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